2023年10月。USTR(米国通商代表部)はWTO「電子商取引に関する有志国会合」(Joint Statement Initiative on Electronic Commerce)において、越境データ流通の保護、データローカライゼーションの禁止、米国企業が所有するソースコードの外国政府への強制開示の禁止という3項目(デジタル貿易三原則)を含む国際規律への支持を撤回する、つまりデジタル貿易三原則を米国として主張しないという方針を示した[1]。
これはデジタル貿易に関するこれまでの米国の姿勢を180度転換するものだった。過去のデジタル貿易協定において3項目はセットで盛り込まれてきており、日本や欧州も共同歩調をとってきたが、今回これが崩れた。翌11月、日米豪など14か国が参加する経済圏構想であるIPEF(インド太平洋経済枠組み)の協議においても、上記のUSTRの方針転換を受けてデジタル貿易協定の締結は先送りされることとなった。これはどう理解すればよいのだろうか。
USTRの方針転換に対する連邦議会の反応は一様ではなかった。まず、ロン・ワイデン上院財政委員長(民)は声明の中で、「ジュネーブ(WTO)の交渉のテーブルから立ち去るUSTRの決定は中国にとっての勝利であることは明白かつ簡単な事実だ」と述べた。また、ジェイソン・スミス下院歳入委員会委員長(共)も「この馬鹿げたアプローチは連邦議会の意思を妨げて貿易政策で独自路線を歩もうとするバイデン政権の間違った政策の一つの証左だ」とした。このように、デジタル貿易三原則は党派を超えて支持されてきたものであり、USTRの方針転換については明確に批判している。
しかし、連邦議会の幾つかの議員グループからはUSTRに対し方針転換を支持する書簡も送付されている。例えば、デラウロ下院民主党(少数党)筆頭理事ほか民主党88名による書簡[2]は、「貿易交渉のみを優先するのではなく、デジタル競争、プライバシー、AI管理などの国内政策のルール作りを担う連邦議会を尊重するタイUSTR代表の見解に賛同する」としつつ、「データブローカーやデジタルプラットフォーマーに米国のデータの支配権を委ねるトランプ時代のWTO提案(Trump-era WTO proposals)を撤回する」ものだと評価している。
つまり、デジタル貿易政策としてデータの自由な流通を無条件に認めることは中国やロシアのみならず、こうした越境データ流通ビジネスを行うプラットフォーマーを無条件に利するものであり、国際的なデータ流通のルールづくり行う前に、まずは連邦議会において国内のプラットフォーム規制や連邦レベルの個人情報保護法制などの法的枠組みをしっかりと整備することが必要だという考えを示している。
これに対し、USTRの方針転換に否定的な(前述の)ワイデン議員ほか上院32名(超党派)は、「オープンインターネットを守ろうとする努力こそ長年にわたる米国の貿易政策の特徴」であるのに対し、「中国やロシアが積極的にサイバー空間における検閲、抑圧、監視といったことを推し進め、自国民を傷つけているのみならず米国の競争力を弱めようとして」おり、「中国は自分たちのインターネットガバナンスを進めようとしている」と書簡[3]の中で指摘している。
ここまでの議論を整理してみると、米国がこれまで推進してきたデジタル貿易三原則を否定する意見は民主党にも共和党にもない。このオープンインターネットの大原則によってデータ駆動社会における国際的優位性を米国として獲得する必要がある。そして、その前提条件として、連邦レベルのデジタル競争法(プラットフォーム規制)やプライバシー法の制定などの内政問題の解決を両睨みで急ぐべきだという議論であるように見える。また、こうした国内法制の整備は欧州との制度(例えばデジタル市場法(DMA)など)の整合性を確保し、日本を含む同志国との結束を深めることになる。更に言えば、オープンなデータ流通をグローバル市場において実現しつつ、米国政府としてプラットフォーマーへのコミットメント(法的関与)を確保できる競争ルールの整備によって、抑えるべきチョークポイントを確保できるという経済安全保障的な戦略論としても位置付けられるのではないかと考えられる[4]。
こうした問題はかねてから指摘されてきた面もある。例えば、USTRの方針転換の1年前の2022年7月。米国の超党派のシンクタンクである外交問題評議会は「サイバー空間で直面する現実:分断されたインターネットに向けた外交政策」と題するレポート[5]を公表した。このレポートは「グローバルなインターネットの時代は終わった」という刺激的な一文で始まり、「インターネットは民間部門と技術コミュニティへの依存、比較的軽い規制監督、そして言論や情報の自由な流通の保護といった米国の価値を反映したものだった」としつつ、しかし「オープンでグローバルなインターネットの実現を促そうとしてきた米国の政策は失敗に終わった」と述べている。
具体的には、「米国はデジタル貿易に関するゲームで疲弊しており、国内においてデータ保護やプライバシー保護のためのルールづくりに失敗し続けていることで、海外でデジタル貿易のルールづくりをリードすることもできなくなっている」と指摘している。まずは国内を固めよ、さもなくば国際ルールづくりをリードすることなどできない、という明確なメッセージがこの時点で送られていた。
こうした中、2024年1月、米国商工会議所は「USTRは一部の業界団体の影響を受けて方針転換を行なった」という報告書を発表した[6]。具体的には、Rethink Trade、Open Markets及びPublic Citizenという3つの団体を挙げ、彼らの「巨大プラットフォーマーによる市場独占を禁止する制度整備が急務」とする主張がUSTRの方針転換に多大な影響を及ぼしていると結論づけた。確かに、例えばRethink Tradeが本年3月に公表した報告書では「国際貿易交渉を優先することで、ビッグテックが十分なプライバシー保護を行わず、AIに関する説明責任を果たさず、競争政策に抗っている」と指摘している[7]。こうした経緯を経て、同年3月、下院監視・説明責任委員会(ジェームズ・コマー委員長(共))はUSTRの政策転換がなぜ行われたのかについて調査を開始している[8]。
折しも本年は米国大統領選の年であり、デジタル貿易三原則は超党派での支持を得ているものの、その具体的な進め方、とりわけプラットフォーム事業者に対する規制や個人情報保護法の制定について共和党は消極的だ。大統領選において民主党・共和党のいずれが勝利するかによって、今後の米国のデジタル貿易政策の方向感が大きく変わることになる可能性が大きい。引き続き動向を注目しておきたい。
[1] 岩田伸人「米国は「ハイレベル」なデジタル貿易自由化の方針を撤回したのか?」国際貿易投資研究所コラムNo. 128 (2024年2月)
[2] https://delauro.house.gov/media-center/press-releases/delauro-leads-87-representatives-letter-supporting-us-trade
[3] https://www.finance.senate.gov/imo/media/doc/20231130wydencrapolettertopotusonwtodigitaltradenegotiations.pdf
[4] ヘンリー・ファレル&アブラハム・ニューマン「武器化する経済」(2024年3月、日経BP)
[5] Council on Foreign Relations (CFR) “Confronting Reality in Cyberspace: Foreign Policy for a Fragmented internet,” Independent Task Force Report, No. 80, July2022
https://www.cfr.org/task-force-report/confronting-reality-in-cyberspace
[6] Jetroビジネス短信「米商工会議所、USTRのデジタル貿易交渉に関する調査結果発表、一部団体の影響指摘」(2024年2月6日)https://www.jetro.go.jp/biznews/2024/02/ac3a05297bf026ea.html
[7] D. Rangel & L. Wallach “International preemption by “trade” agreement: Big tech’s ploy to undermine privacy, AI accountability, and anti-monopoly policies” (March 2023)
https://rethinktrade.org/reports/international-preemption-by-trade-agreement/
[8] Jetroビジネス短信「米下院監視・説明責任委員会、USTRのデジタル貿易交渉プロセスを調査」(2024年3月11日) https://www.jetro.go.jp/biznews/2024/03/7b6ba3fd77443930.html